NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/17


勝部の火祭り Katsube-no-hi-matsuri Katsube Shrine Fire Festival

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 勝部の火祭り(かつべのひまつり)は、毎年1月の第2土曜に、住吉の火祭り(すみよしのひまつり)とともに開催される祭りで、県の無形民族文化財に指定されている。
 ここ勝部の地には、藤原秀郷の放った矢で息絶えた大ムカデの胴体が落ちてきて、それを焼き払ったことから、大ムカデをかたどった松明が用意される。軸が長さ約6メートル、直径約40センチの巨大な円柱である。
 勝部神社は大化五(649)年物部宿禰広国(もののべすくねひろくに)が祖神を祀ったといわれる古い神社で、戦国時代には近江守護の佐々木氏や、織田氏・豊臣氏にも厚い庇護を受けたとされている。
 この境内で主役のムカデである12本の巨大松明に、御神酒・鰯・豆腐を供えて祈祷したあと、若者が褌姿で揃い、神前の御神火から火をもらって一斉に点奉火する。
 若者たちのかけ声は勝部では「御脳平癒」を意味する「ごーよ ひょーよ」、住吉では「平癒」を意味する「へーゆ へーゆ」とそれぞれ違うのも特徴である。
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2007/8/24


旧正凧揚げ大会 Kyuushou-takoage-taikai 

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 毎年二月一一日に行なわれている土佐・野市町の「旧正凧揚げ大会(きゅうしょうたこあげたいかい)」は、その凧の大きさで有名である。
 実際に揚げられる凧は45cm程度のものから様々あるが、圧巻は何と言っても百畳はある土佐の大凧である。重量270kg、胴の長さが16・5mにもなる大凧が、ゆらりゆらりと大空へ揚がってゆく様は壮観である。
 土佐凧の特徴は、正方形を45度回転させて角を上にし、手描きで直接絵を描いたもの。
 図柄は、男子出産祝い・還暦祝いの時の「祝凧」、家紋をあしらった「定紋凧」、武者絵・姫だるま・鶴などの「絵凧」の3種類に大別できる。
 戦国時代、土佐においては長曽我部氏が凧を「空飛ぶ兵器」として用いたと言われているが、江戸時代になってからは、凧揚げは男児出生を祝う行事となり、後に還暦の祝いに凧を揚げる風習も出来たといわれている。
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2007/8/7


真福寺 Shinpuku-ji Shinpukuji Temple

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 真福寺(しんぷくじ)は、愛知県岡崎市真福寺町薬師山にある天台宗の寺である。本尊は水体薬師。通称・三河薬師と呼ばれている。
 推古天皇二(594)年、物部の守屋の次男・真福が、山の頂きにて霊光輝く湧き出る泉を発見した所、薬師如来が水中より顕れた。真福は非常に感激し、本堂を建立したのが真福寺の始まりとされる。
 本堂の中心に八角の御堂があり、その中の井戸の水が本尊である。水の体の薬師、水体薬師といい、この水が目と身体に大変良いという事から、以来1400年、水の信仰が続いている。
 鎌倉時代には最も栄え、36坊の末寺を有した。現在は、身体健康と目のお薬師様として愛知県下はもとより全国から多くの信仰を集めている。
 真福寺は、古い伝説を持つ、今も篤く崇敬されている古刹である。
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2007/5/18


岐阜 伊奈波神社 Gifu Inaba-jinja 

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 伊奈波神社(いなばじんじゃ)は、岐阜県に社を構える神社である。
景行天皇十四年、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の偉徳を偲び、武内宿禰が椿原に祀ったのが始まりとされる。主祭神の五十瓊敷入彦命は、垂仁天皇の第一皇子で、当地を始め広い地域を整備し、溝渠を作り、農耕の基礎を築いて人々の生活に安定をもたらした。そのことから、岐阜の総産土神、諸願成就の神として親しまれ崇敬されている。
 1539年に斎藤秀龍が、稲葉山を居城とするのにあたり、現社地に遷し奉った。その際、この地の物部神社と合祀された。
 1873年に県社になり、1939年一一月一日に国幣小社に昇格。境内は、壮大な楼門、拝殿、本殿等が建ち並ぶ厳かな雰囲気で、元旦や桜の時期には参拝客で賑わう。
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岐阜 金神社 Gifu Kogane-jinja 

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 金神社(こがねじんじゃ)御鎮座の歴史は遠い昔、135年に物部臣賀夫良命が国造りとして建設したことから始まる。
主祭神の渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)は、景行天皇の第六皇女で、伊奈波神社の主祭神・五十瓊敷入彦命の妃である。金神社は、昔から商売繁盛の神として信仰を集めている。
 伊奈波神社に伝わる縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を受け奥州を平定した。その成功を妬んだ陸奥守豊益が先に都へ戻り、謀反の心ありと虚偽の報告した為、朝敵とされ、この地で討滅されてしまった。
 夫の死を知った渟熨斗姫命は、深い悲しみの中この地を訪れ、夫の御霊を慰めつつ生涯を終えた。その後、産業や農業の発展に努めた五十瓊敷入彦命の慈悲深い功績を慕い、人々が集まり、財をもたらす神として信仰される様になり、この地に金大神として祀られた。
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2007/4/20


長野 善光寺 Nagano Zenkou-ji 

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 長野の善光寺は、長野県長野市にある寺院である。本尊は絶対秘仏の一光三尊阿弥陀如来とされ、本堂は国宝に指定されている。
 善光寺の本尊は、欽明天皇13(552)年、インドから百済、日本へと伝わった日本最古の仏像といわれ、廃仏派の物部氏により海へ捨てられたのを、本田善光が信濃国へ運んだという。
 皇極天皇3(644)年、勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたのが開基である。
 仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であるので、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられており、天台宗と浄土宗の別格本山ともなっている。
 信州善光寺は、天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営される、「牛に引かれて善光寺参り」で有名な信州随一の名刹である。
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2007/3/12


磐船神社 Iwafune-jinjya Iwafune Shrine

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 磐船神社は、大阪府交野市私市にある神社である。祭神は、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)。
 創始は、巨大な石船岩があるこの地を、物部氏始祖・ニギハヤヒノミコトの降臨の地であり、神降臨の山・哮峯(いかるがみね)だとして祀った事にはじまる。
 御神体は、「天の磐船」と呼ばれる船形巨石である。この石には、大坂城築城の時、加藤清正が運ぼうとして断念したという逸話が残っている。
 伝説ではニギハヤヒノミコトが、星田の舌を出したように低く伸びた山稜を、滑るように磐船にのって天降り、その磐船が磐船神社の御神体になったのだという。
 御神体岩は、横18、高さ12メートルもあり、その前に岩を背負うように社殿が建っている。
 磐船神社は、航海の神でもあり、不思議な伝説と巨岩郡を持つ、古の神社である。
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2007/2/27


石上神宮 Isonokami-jinguu Isonokami Jingu Shrine

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 石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市に位置する神社である。別名を石上振神宮、石上布都御魂神社とも呼ばれた。
 崇神天皇の御世に、宮中にて拝されていた神剣布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が、当地に祀ったのを創建とされ、日本最古の神社とも言われる。
 垂仁天皇の御世には剣千本が奉納され、神剣・天羽羽斬(あめのはばきり)も収められて、大いに隆盛を誇ったが、鎌倉時代以降、衰微を辿る。
 明治七(1874)年の発掘でご神体の布都御魂剣が出土した跡に本殿を築き、今に至っている。
 本殿が無かった時代に作られた「禁足地」には、今も剣先状の石玉垣が残り、神代の時代を今に残している。
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